第12章 ‘これからは、利他の為に生き続けたい’ ― 小野龍光さんの人生再出発

 小野龍光さん(本名は小野裕史さん)とは熱中小学校の先生を探していた8年前に日本アイ・ビー・エム(株)のベンチャー業界担当の営業さんに紹介されてお会いした。

 小野さんは日本アイ・ビー・エム(株)を入社5か月でやめられた後、シーエーモバイルを創業、その後インフィニティーベンチャーズ・LLP共同パートナーとして業界で起業家支援をされ、様々な企業を世に送り出した。

 彼は同時にマラソンで世界中の難路を走破してゆく。(詳しくは著書である「マラソン中毒者 北極、南極、砂漠マラソン世界の一のビジネスマン」)

2016年9月、FEI世界エンデュランス選手権大会でコリン・フォー・ゴールド号
と日本代表人馬として出場した

「全然運動してない人間がここまで」というのが動機だったという。その後、馬とのレースに転身して1頭の馬と160キロを11時間で走破する「エンデュランス馬術」の世界に飛び込んで行く。当時私は、まずはSNSでゴールを発信してしまい、見てくれる人の目を意識して ‘やるしかない’ を繰り返していくと挑戦を継続していけるということをやっているのかな? ‘身を捨ててこそ浮かぶ瀬があり’ スタイルに感心してフォローしていた。

 そんな彼がちょっとしたきっかけから出家されたのは、長い間に潜在的に溜まってきたものの発露として必然的に新しい境地に入られたということだろう。 彼は完全に生まれ変わろうとしているのだ。

 数字、数字のビジネス社会に疲れた小野さんは 2022年8月、まず会社を辞める。たまたま会った友人と、たまたまインドに行くと、約1億人いるインド仏教界を最高指導者・佐々井秀嶺上人に出会い出家の道を選んで、頭を丸めてしまった。そしてかねてから考えていたオーストラリアにも移住。 目的と手段の取り違え、数字、利益、お金を目的化してきたビジネスマンの世界。しかしそこから“利他”に徹した世界を目指して小野さんは仏の世界を選んだことになる。

手を合わせる小野さん。綺麗なお姿でした。

 さて、私事だが、先日熱中小学校の先生で神奈川県南足柄市にワイナリーを新設しようとしている西岡一洋さんから、南足柄市での熱中小学校の可能性のお問い合わせがあり出かけて行った。神奈川県小田原駅から雄山線に乗って40分、南足柄市には上関山極楽寺や大雄山最乗寺などの著名な禅寺がある。最乗寺は我が家の近くにある曹同修本山の総持寺との関係も深い。

 振り返ると時々自分のことしか考えていない己に気づいて嫌になることがある。そういう時にふと近くの総持寺の座禅会に行ってみようかな?と一瞬思ってもそのまま時間が過ぎてしまい年を重ねてしまった。76歳の今でも迷いや後悔はなくなることがない。

「職業としての僧侶」という道の入口に立たれた小野さんにはこの道への迷いは無いようだった。資本主義時代の最先端の生き方をしてきた、まだ48歳の小野さんが僧侶を職業と決めた。どのくらいの時間が経って、小野さんから‘悟り’という境地のお話が聞けるのか、時々お会いして尋ねてみたい。

 小野さんには最近若いビジネスマンから、メンタリングの相談が結構あるという。

 今後瀬戸内寂聴さんのように、どこかのお寺に属していくのだろうか?

 オーストラリアに移住されたので、そちらにお寺を建立するのかもしれない。

 あるいは物理的な ’場‘ に拘らず、リアルとネットの世界でいかれるのかな?

「堀田さん、実は ‘フットしたことで’ こんなことになってしまいました」、がまた聞けるに相違ない。

小野龍光さんのインタビュービデオはこちら:

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