第8回「能登・七尾の伝統的・歴史的建造物の街並み保存継承」

講 師 岡田  翔太郎先生(岡田翔太郎建築デザイン事務所)
講 師 丸谷  芳正先生 (富山大学名誉教授)
会 場 : 熱中小学校丸森復興分校
日 時 : 2025年11月15日(土) 13時30分〜15時10分
※熱中小学校丸森復興分校とのクロッシング授業

はじめに:第8回のと熱中授業より

 

2024年1月に発生した能登半島地震により、多くの文化遺産が深刻な被害を受けました。その中で、ただ元に戻す「復旧」ではなく、地域の歴史と人々の想いを未来へつなぐ「復興」をいかに成し遂げるか。この問いは、被災した地域だけでなく、日本の多くの地域が直面する課題でもあります。

この重要なテーマを紐解くため、二人の講師が登壇しました。一人は、震災後、故郷である石川県七尾市で復興活動の中心を担う若き建築家の岡田翔太郎氏。もう一人は、建築家の吉村順三氏や奥村昭雄氏のもとで家具デザインに関わった後、長年にわたり日本の暮らしと景観を見つめ、ものづくりから地域づくりまでを手掛けてこられた富山大学名誉教授の丸谷芳正氏です。モデレーターは熱中小学校丸森復興分校の伊藤航氏が務めました。

この授業は、困難な状況の中から希望を見出し、故郷の未来を自らの手で創り出そうとする人々の知恵と情熱の物語です。彼らの言葉から、これからのまちづくりのヒントを探ります。

第一部:岡田翔太郎先生 — 故郷・七尾と共に歩む復興への道

 

石川県七尾市に生まれ育ち、地元で建築事務所を営んできた岡田翔太郎先生。2024年の能登半島地震は、彼の活動を一変させました。大きなショックと途方に暮れる中で、恩師の言葉に背中を押され、故郷の復興活動の先頭に立つことを決意します。地域の人々を巻き込み、次々と希望のプロジェクトを生み出していく彼の歩みは、復興が単なる建物の再建ではないことを力強く示しています。

震災当日と活動への決意

2024年1月1日、岡田先生は七尾市内の道の駅で被災しました。震度6強の揺れは、まさに未曾有の体験でした。

「本当に今まで経験したことのないような大きな揺れ」で、埋め立て地の地面は割れ、「腰高ぐらいの高さまで、あの、こう土混じりの泥みたいなのがバーッとこう噴き上げている」状況だったと、その時の様子を生々しく語ります。

家族と避難所で二晩を過ごし、変わり果てた故郷の姿を前に茫然自失としていた1月4日、大学の恩師が物資を手に駆けつけます。尊敬する先生と共に、泥だらけになった家のがれきを撤去する中、「きちんと地域に貢献しなさい」と力強い言葉をかけられました。これからどうしたらいいのか途方に暮れていた心に、その一言が深く突き刺さります。この言葉に奮い立ち、岡田先生は故郷の未来のために行動することを固く決意したのです。

プロジェクト①「ちびでか山プロジェクト」— 希望の山車をもう一度

七尾市で982年から続く伝統的な祭り「青柏祭(せいはくさい)」。その主役である「でか山」は、高さ12メートル、重さ20トンにも及ぶ巨大な山車で、地域の人々にとって誇りであり、心の拠り所です。しかし、震災の影響で道路が寸断され、祭りは中止を余儀なくされました。地域の落胆は計り知れないものでした。

そこで生まれたのが、「大きすぎてできないんだったら小さくしてやったらどうだ?」という逆転の発想でした。実際の5分の1サイズで「ちびでか山」を制作するプロジェクトが始動。イベント開催までわずか1ヶ月という厳しいスケジュールの中、美術館のキュレーターや構造設計士など多くの仲間と共に設計と制作を進めました。

5月5日、復興マルシェと同時に開催されたイベントは大成功を収めます。子ども向けの企画でしたが、実際には大人たちも心から喜び、でか山に関わる人々が一体となって祭りの熱気を取り戻しました。

倒壊した建物が残る街並みの中を、ちびでか山が進む光景は、地域の希望の象徴となりました。「来年は必ず本来のでかやまをやろうという、あの強い思いにつながっていった」と岡田先生は語ります。

プロジェクト②「NPO 一本杉通りの文化遺産を守る会」— 街の記憶を未来へつなぐ

500年以上の歴史を持つ一本杉通り商店街は、5つの国登録有形文化財が点在する、七尾市の文化の中心地です。この歴史的な街並みを守るため、岡田先生は「NPO法人一本杉通りの文化遺産を守る会」を設立しました。

活動の中心となったのが、震災前の街並みを再現する「復元模型」プロジェクトです。SNSでの呼びかけに応じ、全国から約60人の建築を学ぶ学生ボランティアが集結。半年がかりで、800メートルに及ぶ通りの50分の1スケールの精巧な模型を完成させました。

この模型は、単に過去を懐かしむためのものではありません。住民たちが模型を囲み、空き地の活用法を議論するなど、街の未来を共に考えるための重要なツールとなっています。

「この街の未来まで、あの、使えるツールとして模型を使っていきたい」

この活動は、大きな成果も生み出しました。歴史的建造物の修復には、現行の建築基準法が壁となる場合があります。岡田先生たちは市と粘り強く協議を重ね、国登録有形文化財の修復をしやすくするための条例制定を実現させました。これは石川県内では金沢市に次ぐ画期的な取り組みであり、文化財を守りながら復興を進める上で極めて重要な一歩となりました。

プロジェクト③「一人一花 in 能登半島」— 空き地に花とコミュニティを

震災後、能登半島全体で「解体空き地」が急増しました。何もない更地は、街の活気を失わせるだけでなく、景観の悪化にもつながります。この課題に対し、岡田先生は福岡市の先進事例を参考に「一人一花 in 能登半島」プロジェクトを立ち上げました。

これは、空き地に暫定的に花壇(コミュニティガーデン)を作り、誰もが参加できる花植えを通じて、新たなコミュニティを育む活動です。被災していない全国の企業やボランティアから応援を集める仕組みを構築し、活動は能登半島の6市町と富山県氷見市に拡大。既に14箇所のガーデンが誕生しています。この活動は多くのメディアで取り上げられ、全国に能登の現状と前向きな取り組みを発信し続けています。

「能登半島を忘れないでくれっていうようなメッセージにもなりますから」

岡田先生の力強い実践は、復興への具体的な道筋を示すものでした。そして、彼の現場からの報告は、まさにこうした課題を法律や社会構造という、より大きな視点で見つめ続けてきた丸谷先生の深い洞察へと繋がっていきます。

第二部:丸谷芳正先生 — 日本の暮らしと景観を見つめ続けて

 

家具デザインから建築、そして地域づくりへ。丸谷芳正先生は、長年にわたり日本の「ものづくり」と「暮らし」の本質を探求してきました。岡田先生のような現場での奮闘が直面する、法律、経済、社会構造といった、より根深い課題。その本質を、先生は長年の幅広い経験から解き明かします。

震災と失われる建物 — 構造的な課題

丸谷先生は、日本の現状に警鐘を鳴らします。

「震災が起きるたびに古い建物が消えていくんですよ」

その背景には、複数の要因が複雑に絡み合っています。

  • 法律の壁:現行の建築基準法では、伝統的な工法で建てられた建物の修復が困難な場合がある。
  • 費用の問題:修復には多額の費用がかかり、所有者個人の負担では限界がある。
  • 社会の変化:所有者の高齢化や後継者不足により、家や街並みを維持する気力も財力も失われつつある。

こうした厳しい現実の中で、岡田先生たちが実現させた七尾市の条例制定は、大きな希望の光です。丸谷先生は「本当に素晴らしいな」と心からの称賛を送りました。

デザインに込めた想い — 日本人の暮らしと空間

丸谷先生の思想は、その作品に色濃く反映されています。代表作である「たためるイス」は、一見モダンなデザインですが、その発想の原点は日本の「座布団」にあります。広くない空間を有効に使い、必要な時に出して、不要な時は仕舞う。そんな日本人の生活文化に深く根差したデザインです。

その他にも、障がいを持つ方のための道具製作や、地域の広葉樹(クヌギやコナラなど)を使い、参加者に「山の恵み」を感じてもらう椅子作りワークショップなど、その活動は常に「人」と「社会」、そして「自然」との関わりの中にあります。

失われた景観と守り抜いた街並み

先生は、経済発展の中で失われてしまった日本の美しい風景を、深い惜別の念と共に語ります。かつて運河沿いに木材倉庫が美しく並んでいた東京・木場。そして、富山県射水市の内川地区では、都市計画によって三十棟もの建物が一週間で姿を消しました。解体された家の中には、一枚板で見事な木目が揃えられ、漆が塗られた美しい天井があったと言います。それは、単なる建物ではなく、職人の技と人々の暮らしが息づく文化そのものでした。

その一方で、丸谷先生は自ら行動し、街並みを守り抜いた経験も持っています。富山県高岡市で、加賀藩の米蔵があった歴史的な地区の民家を私財を投じて購入・改修。そこから地域住民との対話を粘り強く重ね、合意形成に尽力しました。当初50%だった賛成は最終的に80%を超え、その地区は国の「重要伝統的建造物群保存地区」(歴史的な街並みを法的に保護し、維持修復のための支援を受けられる制度)に制定されるに至ったのです。

丸谷先生の深い洞察と実践的な経験は、能登の復興、そして日本の未来のまちづくりを考える上で、極めて重要な示唆を与えてくれます。

第三部:対話 — 復興の先に描く、これからの街づくり

 

岡田先生の実践的な報告と、丸谷先生の長期的な視点からの問題提起を受け、二人の講師とモデレーターの伊藤氏による対話が行われました。このセッションでは、これまでの講演内容がさらに深まり、復興の先に描くべき未来のまちづくりへの具体的な展望が語られました。

合意形成の難しさと重要性

丸谷先生が高岡で経験した街並み保存の道のりは、まさに「合意形成」との戦いでした。当初50%だった住民の賛成を、粘り強い対話の末に80%以上にまで引き上げた経験は、まちづくりにおける住民参加の本質を物語っています。岡田先生が取り組む一本杉通り商店街も、様々な考えを持つ個性豊かな人々が集まる場所。目指す方向は同じでも、一つの方向を向くことの難しさは共通の課題として浮かび上がりました。

未来を語るための「模型」というツール

この「合意形成」という長年の課題に対し、岡田先生が学生たちと制作した一本杉通りの復元模型が、革新的な解決策となり得ることが示唆されました。CGとは異なり、物理的な模型は、多くの人が同時に、様々な角度から覗き込むことができます。

住民が街の姿を「客観的に見れる」、そして「みんなで一緒に見れる」こと。これこそが、丸谷先生が苦労した住民間の対話を生み、合意形成を促す上で極めて重要だと両氏は指摘します。

さらに、この模型の使い方は過去の再現に留まりません。「ここに広場を作ったらどうか」といった未来のアイデアを反映させ、模型を「どんどん更新していく」。過去を尊重しながら未来を創造するための、生きた対話のプラットフォームとなっているのです。

新しいボランティアの形と能登の魅力

模型制作プロジェクトには、全国から建築を学ぶ学生たちが集まりました。彼らは「行って何ができるんだろう」という無力感の中で、「模型を作ることならできる」と、自らの専門性を活かして被災地と関わりました。これは、専門知識を活かした新しいボランティアの形であり、被災地支援の可能性を広げる素晴らしい事例です。

対話の最後に、丸谷先生は自身の師である建築家・吉村順三氏の言葉を紹介しました。

「能登半島の民家をもう生前すごい褒めるんですよ」

交通の便が悪く、ある意味で開発から取り残されてきた場所だからこそ、日本の昔ながらの良いものが残りやすい。能登半島が持つ、このかけがえのない文化的価値を、私たちは再認識し、未来へと継承していく必要があります。この対話は、能登の未来だけでなく、日本の多くの地域の未来を考える上で、豊かな示唆に富むものとなりました。

おわりに

 

今回の「のと熱中授業」は、能登の復興が単なる建物の再建プロジェクトではないことを、改めて私たちに教えてくれました。それは、地域の文化や歴史、そして人々の繋がりを取り戻し、未来への希望を育む、創造的なプロセスそのものです。

故郷への強い想いを胸に、具体的な行動で未来を切り拓く岡田先生。そして、長年の知見から日本のまちが抱える本質的な課題を照らし出し、その乗り越え方を示唆する丸谷先生。二人の講師の話が交差したことで、「住民が主体となったまちづくり」の重要性が鮮やかに浮かび上がりました。

岡田先生たちが計画している歴史的建造物ツアーは、来春にも開催される予定です。能登の挑戦は、まだ始まったばかりです。その歩みは、困難に直面する多くの地域にとって、大きな学びと希望の源泉となることでしょう。

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