私の父は石川県金沢市出身で、名前は ‘橋本寅吉’ といい、金沢の醤油製造業の次男坊であった。金沢出身の安宅財閥の創始者である安宅弥吉の奨学生として高校時代には安宅家の住み込み学生だった。母は ‘山田はま’ という名前で本家は富山県南砺市に本家の墓があり、富山県といっても加賀藩の影響がある土地柄の出身だ。
母方の祖父が北前船で財を成した富山県高岡市伏木の堀田(本家は作家の堀田善衛)の分家の一人娘を嫁さんにもらう際に、将来自分の子供に堀田を名乗らせて家を継続させるという約束をした。形式的な話だがそういうことは当時としては大事なことだったのだろう。
祖父は安宅家に相談して、自分が創業した会社に多分優秀であったであろう安宅に世話になっていた奨学生の若者だった父を招き、父は娘と結婚、2人の姓が堀田となったわけだ。従って私には北陸の血、特に食習慣は加賀の流れがあると思う。
今から60年も前の夏、私が高校生の時に、能登半島の先端にある珠洲市で地元の方にお世話になった。
受験がないエスカレーター高校3年生の「地学」には夏休みの研究レポートとして地質調査の宿題があり、クラブ活動に明け暮れていた私は同じクラブの友人2名と一緒にテーマを「石川県珠洲市の珪藻土研究調査」として合宿して作成することにした。父は当時石油エネルギー革命以前に主流だった練炭、豆炭など石炭を材料とする、祖父が創業した燃料製造会社の経営者だった。能登半島の珠洲市には珪藻土が採れそれを使って練炭コンロを製造販売する取引先があるというので紹介してもらった。その会社は、珠洲市の珪藻土の採取場を私たちに ‘調査研究’ のために開放してくれて、宿泊は近くのお寺を手配してくれた。今では研究内容はすっかり忘れてしまったが、珠洲は海風がさわやかで1週間は夏の休暇のように過ぎた。
昨年の能登半島地震後にたまたま、大間ジローさん、まきりかさん、山田直記さんという気の置けない仲間と話しながら決まった「のと復興音楽ツアー」の企画作りのために、何回も能登半島に行った。珠洲市では、60年前に行った珪藻土の切り出しコンロの製造会社の採取場は潰れて操業できずにいた。合宿した付近のお寺を探しに行ったが、屋根が落ちて完全に崩壊していた。このあたりのお寺は皆、甚大な被害を受けていて復旧がおぼつかない。
60年前にはわからなかったのは珠洲市の文化の豊かさだ。
能登半島の北端にある珠洲市の飯田湊から新潟県佐渡島には、10年前までは航路があって姉妹都市にもなっている。言葉や文化も似ているところがあるという。北前船の往来、山にさえぎられた能登半島の各地には独自の伝統文化が残り、それが継承されてきた。 珠洲市は国際芸術祭の開催都市であり、屋外の作品群も大きな被害を受けた。

今回「のと復興音楽ツアー」で出逢った吹奏楽団の皆さんが所属する珠洲音楽文化協会はなんと50年という歴史がある。60年前に38,000人だった珠洲市の人口は13,000人に減り、震災後の今はその5割の6,000人くらいではないかと言われている。多くの人が仮設住宅におられる。珠洲市で「のと復興音楽祭」にラポルトすずの560人の会場が埋まった時、10人に1人が来てくれたと聞いた。
珠洲市の山でお茶用の炭の製造に挑戦して来た若者も、地震後崩壊した窯に代わる新しい耐震窯を研究していた。絶望を超えて明るい人たちがここにいる。
しかしここまで厳しい環境にある方々に明るい希望を感じるのは、この地に文化の伝統があり、彼らに自然にある誇り、それが姿勢を保っているように思えるからだ。
4月から始まった「のと熱中授業」は「能登の未来は日本の未来」をテーマに、過疎化が進む地方で何とか生き延びる方法を考えることこそ日本の未来が拓けるとする思いがある。
60年前にお世話になった能登半島の人達としばらく時間を過ごしていくことにした。

(クラウドファンディングのサイトから)
先日の「食の熱中小学校」の座学で岩佐十良さん(株式会社自遊人代表取締役)の言葉が7歳の心にささる。
岩佐十良さんのクロージングから:
「僕の目的は何なのかとよく聞かれます。地方主役の経済圏を成立させることを今目標にやっています。僕自身は東京生まれの東京育ちです。東京にいるときは、雑誌の編集者として東京が地域経済や日本経済を回し、東京が地域を支え、東京の人たちが地域の文化を作っていると思い込んでいました。驕りみたいなものですね。でも地方に行ってから、まったくそうではない、その逆だとわかりました。すべての日本経済は地方で成り立っている。地方がなければ東京は成り立たない。東京の産業も企業も成り立たない。すべての東京の人は地方の人に感謝する心をぜひ持っていただければと思います。そして、東京の人は東京の文化をどれだけ大切にしているでしょうか。日本文化をどれだけ大切にしているのかということで言うならば、地方の人たちの方がよっぽど誇りを持って生きています。その人たちが今苦しいんです。この苦しい状況を何とかしなければいけない。だから、地方主役の経済圏を成立させるためにどうしたらいいのかっていうことを必死に考えています」
(岩佐十良さんの詳細授業は「食熱通信」14号 https://newshoku-no-necchu.com/2025/05/25/snts-vol14 をごらんください)
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