第15章 10年ひと昔、まだまだタスキは続く

 私は20代から10年おきに自分の環境が大きく変わるという体験をしてきた、と思っていた。大学を卒業して日本IBMに入ってから、米国でMBAを取ろうと決心して3歳の娘と家族3人で米国に渡ったのが29歳。帰国後当時日本IBMの鬼門であったPC事業の担当を命じられたのが39歳。49歳にはPC事業担当として役員に就任。しかし58歳の時に肝臓癌と診断されて執刀直前に間違いとわかったのだが、それが背中を押して日本IBMを59歳で退職。68歳で熱中小学校のプロジェクトを開始した。結果として10年おきに何か新しいことが始まるような、今年78歳で大きな転機を迎えると思ってきた。

 しかしながら、年を取って感じることは、10年くらい一つのことを継続できたら、上向きのこともダメだったことも時間の経過と共に関係なくなってきて、存在できたことで評価されるものになっているという事実だ。10年ひと昔とは、10年たったらもう昔のことになるというより、10年継続するとその間に変わっていきながら昔とは違ったものになっている、という意味だと思う。「継続は力なり」とは、連続的に誰かが現れてきて力を貸してくれたり、失敗を黙認してきてくれたりして結果としてバトンを繋ぐことが許されたことを言うのだと思う。そしてそれは、「幸運は力なり」という意味でもあるのだ。
 熱中小学校プロジェクトが、開始10年にして ジャパンタイムズが主催する「Sustainable Japan Award」の審査員特別賞をいただいたのは突然の驚きであり、また喜びであった。
 熱中小学校プロジェクトは、廃校再生の手段として大人の学校を開校するー廃校を再開校するーこれまでにないという面白さに夢中になって始めたことなのだが、それを役場や内閣府の ‘面白い人たち’ の力で予算化され、地方それぞれの ‘変わり者’ によって他の地区にも広がっていった。ボランティアの先生が今まで名前さえ知らなかった町に行って、熱心な生徒さんと教室の熱量を上げて、忙しいにもかかわらず、何か面白い経験をまたしても良いか、と何度も授業を引き受けてくれた。生徒さんは自発的にクラブ活動を始め、起業する人も現れた。
 つまり、面白いこと、不思議なことというのは、チェインのようにつながって表れてくる。駅伝のように、次の走者へと繋がってゆくことがある、という経験をした人達の集団が10年で育ってきたのだ。

 私自身の新しい10年への考えも変わってきた。
 一つ目は、「何歳になったらこれをやる、辞める」というような考えを捨てようと思った。時間で区切るのは多分、企業生活時代の年齢による人事管理の後遺症というもので、年齢による一律主義の弊害だった(名だたる企業が60歳で急に給料や仕事を変えることをまだやめないのは大きな弊害だ)。もちろん、たとえ社長であっても、時間のサイクルの中で席を渡していかなければ企業は成り立たないことはある。その世界を卒業したのにまだ時間で区切ろうとするのは、こうした世界にいた私も含めてサラリーマン経験者が持ちやすいイリュージョンなのだ。そうした時間区切りの考えをやめて、走れるまでは走り続ければ良いのだ。
 二つ目は、でも個人としての体力、精神力がいかんせん衰えてくるのだから、新しいことはできないという現実を受け入れる。つまりまだ新しいことがやりたいのなら何かを切って、空いた座席を作らないといけないということだ。
 三つめは、そうした不思議なチェインを生み出す、人の世界を超えたもの、人の成長と共に走り続けるゲームの面白さだ。駅伝走者が、走っているうちに新しい走法に目覚めて進化しながらタスキがつながっていくという経験をする人達がたくさんいると信じられることだ。

 能登復興音楽ツアーをやって感動したのは、地元の吹奏楽団の中学生、高校生や、太鼓の奏者達が、自分たち自身で高い目標をクリアーしながら、学び続けて素晴らしいパフォーマンスを起こしたことが記憶に新しい。学びのキーワードを忘れてはならない。

 さて、8月31日は私の「命のメジャー」(物差し)である毎朝1時間の足指とヨガレッチの開始日であり、必ず毎日継続して本日で連続10年になった。1年遅れで始めた水3杯かぶりは9年になった。。 毎日継続して、10年にもなると健康にとても良い効果があったと思う。
 精神は健全な肉体の上に宿ると仮定して、今後シュリンクしていく肉体や健康に精神はどう宿っていくのだろうか? それが今後の問題だ。

 先日、「能登復興音楽ツアー」の最終開催地である輪島市門前町を打ち合わせで訪問し、地震で壊滅的な被害を受けた門前町にある曹洞宗總持寺祖院で高僧の方にお会いできる機会があった。用事がひととおり終わった後お茶を飲みながら、つい甘えてしまい「風は見えるのでしょうか?」と聞いてしまった。以前から気になっていたことだ(第11章 風が見えるか?)。
 突然の質問にその高僧は、「堀田さん、座禅を継続していって、それが生活の一部のようになったら、その答えは体得できるでしょう」と答えてくださった。 それで決心がついた。そうだ、来月から座禅をやってみよう。

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