第17章 能登の汗は、日本の汗!

 8月23日(金)「のと復興音楽ツアー@大阪・関西万博」第2部の「能登DREAM DRUMMERS」の開演挨拶を任せられた私は、手短に「能登の未来が、日本の未来になる!」そして「のとの汗が、日本の汗になる!」と叫んだ。この日は汗また汗、の会場であるポップアップステージ北は青空の下でのコンサートだ。太鼓の前奏が始まると早々から会場には汗だくの観客、それがどんどんと増えてゆく。

 能登DREAM DRUMMERS@大阪・関西万博。午後3時30分開始という一番暑い時間に汗だくの演奏が開始され、数百人の観客が太鼓に酔いしれた。猛烈な暑さの中、山崎さんの大太鼓打ちで始まり、30分以上休みなしに新曲が打ち続けられる。入れ替えにステージから降りた人も倒れるように座り込んで、水分補給してまた復活してステージに戻る。プロレスかボクシングのような格闘技の選手が繰り広げる命がけの演奏風景だった。アンコール! の声に30分の予定は40分となり、わずか20分の休憩を挟んで4時30分から2回目のステージが始まるという苦行のパフォーマンス。その迫力に仲間が掛け声が励ましながら、観客もどんどん増えてゆく。後ろの円形リングの下や上から、横から、拍手が、掛け声が生まれる。

 最後の全員の合奏では、圧倒された観衆のかなから、「能登頑張れ!」の声が上がる。「もちろん大丈夫、任せておけ!」とばかりに太鼓が応える。
 私は舞台の袖で、入れ替わりの通路にいたのだが、クタクタの皆さんが、アンコールの声が上がるとしっかりと声を掛け合いながらまた舞台に上がっていった姿は忘れられない。

 思い起こすと、今年の2月21日「天地人」さんとの「のと復興音楽ツアー」は大雪の中の会だった。七尾市一本杉商店の舞台は狭くてもたくさんのチームを参加させようと、7つの団体が代表を出して「七尾太鼓コラボチーム」で臨んでくれた。そして8月11日、大阪・関西万博に向けて、地元でお披露目会が行われた。お披露目会ではさらに参加団体が増えて13の和太鼓団体のメンバーでつくる特別チームで、「能登DREAM DRUMMERS」と名付けられた。演奏の前に36人からなるチームの代表、山崎弘生さんが「復興への道のりは半ばですが、太鼓を皆さんの心に響かせて能登に人を戻したい」と挨拶。小学5年生から50代までの36人が、地元に伝わる雨乞いの太鼓をもとに作った新曲を一気に休みなく披露した。締めの挨拶を頼まれた私は、汗だくの皆さんの姿を見て ‘汗をかこう!’ というフレーズがよぎり、「能登の汗は、日本の汗!」と手を挙げながら叫んでいた。

 万博ではたくさんの登り旗が周囲を飾り、違う流派の皆さんが統一された演奏を披露する。舞台の下から、仲間が ‘太鼓!太鼓!’ と合唱する。この一体感を生んでいる力が、能登の力だ。「能登の汗が、日本の汗!」という意味だった。
 話はもっと遡る。昨年の秋、「食の熱中小学校」の講師をお願いしに、七尾市一本杉商店街の ‘一本杉川嶋’ の川嶋さんを訪ねた。復興でお忙しい中、15分くらいで打ち合わせを終わらせて、別れ際に「七尾市で演奏団体を探しています」と話したら、「太鼓でよければ」と、美容師でリーダーの山崎さんに電話をかけてくれた。あの1本の電話が、大阪・関西万博のこの演奏にまで発展したのか。

 震災復興を通じて、しかるべき仲間たちが力を出し合って来た証がここにあった。
 能登は、必ず復活する。

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