第22章 俳優・水谷豊さんが登場した「高畠熱中小学校10周年記念講演会」

 2025年10月12日に行われた高畠熱中小学校の10周年記念式典、私のクロージングスピーチが終わり、司会の長谷川智生事務局長が閉会宣言をした直後に突然、水谷豊さんのビデオメッセージが始まった。

 熱中小学校のスタートとなった山形県高畠町の旧時沢小学校は、山形新幹線の赤湯駅から15分くらいの、水田とブドウ畑の混在した小山の麓の地域にある。1学年1教室という小さな小学校だ。6教室しかないのに、小学校校の基準から、校長室、教員室、理科室、家庭科教室、音楽室、礼拝室、放送室、図書室、そして体育館とプール、広い校庭からなっていて、とてもコンパクトだが「完全な小学校」だ。こんな環境を使って、水谷豊さん主演のTVドラマのヒット作「熱中時代」の撮影が、地元の在校生と共に行われたことがあった。

 それから何年か経過して、子供の数が減り、時沢小学校の閉校式にメッセージを水谷豊さんに託したところ、ビデオメッセージが送られてきた。水谷さんは最後の在校生、一人一人の名前を読みあげ上げ励ましたという。
 今回も時沢小学校の卒業生からの手紙を含めて、一つ一つ手紙を呼んでくれた。

 この時も高畠熱中小学校事務局長長谷川智生さんのように、水谷さんに事務所に依頼した先生がいたようだ。

 さて、旧時沢小学校が閉校になってから4年後に、我々がもう一度学校を開校するという縁がつながった。この学校が‘熱中時代’の撮影場所だったとわかって、小学校でもあるので、我々の学校は「熱中小学校」という名前に決まった。その際、水谷事務所には了解を得て、商標登録も行った経緯があるものの、その後何も音信はなかった。
 それから10年後、長谷川さんから「水谷豊さんを10周年にお呼びしたい」という話を聞き、難しいだろうがみんなで手紙を書こうということになって、私も期待をつづって長谷川さんに送ってはみたが、まさかビデオメッセージという形で実現できたとは当日まで知らなかった。

 水谷豊さんご自身、閉校時に子供たちにビデオメッセージを送られてから14年後に、まさかあの廃校がこんなに活用されているなんて。。と感慨深そうに述べられた、今回の手紙の束や資料が、水谷豊さんの心を動かしたに違いない。

 そしてビデオが届き、公開されるや、それは水谷豊さんの完璧な世界だった。「相棒」の撮影場所で、送られた手紙を一つ一つ名前を言いながら読み上げてくださる。
 10周年の祝辞を10分間のドラマのように作っていただいた。
 事務局の皆さんに感謝のメッセージまであり、これまで ’相棒‘ も観ていなかった自分だが、すっかり水谷豊さんの人間性に感動してしまった。
 長谷川さんは、このプロジェクトを10年継続して何かを身に着けただろう。これは彼への祝辞だったのだと思う。

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