皆様こんにちは、熱中学園の堀田です。本日はみやぎ美里熱中小学校の4月開校前のオープンスクール でお話しする機会をいただきましてありがとうございます。「未来を自分色に…」というテーマでお話しします。この学校は美里町の中学校3校を一つにした学校として開校されたそうですが、熱中小学校をそんなピカピカな学校で行えるのは初めてでもあり、素晴らしいことです。
熱中小学校プロジェクトは2011年の東日本大震災をルーツにしています。
東日本大震災では美里町は震度6強で、海に面さず津波はなかったが、多くの家屋が壊れたと聞いています。海岸地帯の津波の映像や死者、行方不明の報に、日本人の多くは「自分に何ができるか?」と問い直したと思います。私は、人間の力ではどうすることもできない災害に対処する、方法論というか、手段を考えていました。まずは、友人たちの知恵を結集する拠点を東京・赤坂のマンション一室に構え、食事ができ、飲みながら、仲間といろいろなプロジェクトを議論できる場「OFFICE KOROBOCL」 を開きました。一人一人の強みを掛け合わせて、他人の力を結集して今までなかったもの安く、早く、生み出す考え方が ‘他力創発’ です。

熱中小学校は赤坂にたむろする仲間がデザインし、仲間が手弁当で地方に行く先生になって始まりました。私は昨日79歳の誕生日を迎えましたが、3年前から自分が関わっているプロジェクトの情報やエッセイを ‘OFFICE KOROBOCL’ というWebで記録しています(https://www.korobocl.com/)。
そのタグのうち「熱中小学校のサステナブルプロジェクト」を開いてみましょう。
熱中小学校のコアは350人のボランティアの先生です。例えば宮城県在住の立花貴さんは古くからの先生の一人です。立花貴さんは宮城県で育ち、東北大学を卒業して東京の大手商社でバリバリの仕事をしていました。震災で仙台にいるお母さんの安否を尋ねて仙台入りし、その後炊き出しをやっているうちに雄勝町の漁業や町の復興に邁進し、商社をやめました。何度も彼の運転で深夜私も雄勝入りをしました。立花さんは津波で壊れた木造の校舎をボランティアの手で再建し、石巻市雄勝町にMORIUMINUSという研修施設を創りました。宮城県では美術担当の画家・イラストレーター・水彩画家の古山拓さん、フカヒレ料理で有名な気仙沼の中国料理店「KUROMORI」のシェフの黒森洋司さんもいます。東京の食の熱中小学校は、黒森さんのような地方のシェフを訪ねて料理をいただく体験ができる学校です。また、先生登録はしていませんが、熱中小学校丸森復興分校では村井嘉浩宮城県知事にも授業をしていただきました。今日は、高畠熱中小学校で東北最大のジオラマを制作した内海弦校長先生もいらっしゃっていますので、いつか授業をしてくれると思います。
熱中小学校の先生は熱い方が多く、教室の熱量を感じていただき、忙しいけど楽しいからまた次も、となっていただければ学校が継続されるしくみです。持続可能性のカギは教室の熱量にあります。
さて、熱中小学校は2014年12月、旧・時沢小学校という廃校活用の相談を山形県高畠町の役場から受けたご縁から始まりました。10年前に午前中生徒さんが山形県金山杉の材料で自分の椅子を製作して84人が入学しました。
昨年10月に10周年の記念式典が行われて、全国の熱中小学校の皆さんと冊子を製作し、最初からあった「もういちど7歳の目で世界を…」というキャッチフレーズに、「未来を自分色に…」が加わりました。イラストは古山拓さんにお願いしています。

その当時、NHK山形支局には本日の講師の倉崎憲さんが勤務されていて、2015年には山形地域発ドラマとして倉崎さんが制作された『私の青おに』のために高畠熱中小学校にも出没し、自然に先生になっていただきました。この小さな小学校はTVドラマ『熱中時代』のロケ地として選ばれ、時沢小学校の生徒も出演しました。主演の水谷豊さんの若い時代の顔が映っています。
水谷豊さんご自身、旧・時沢小学校閉校時に最後の生徒さん一人一人の子供たちの名前を呼んだビデオメッセージを送られました。高畠熱中小学校の10周年に水谷さんを呼ぼうと、生徒たちが手紙を書きました。 そして水谷さんのビデオが届いたんです。「相棒」の撮影場所で、送られた手紙を一つ一つ名前を言いながら読み上げてくださる。そして、10周年の祝辞を10分間のドラマのように作っていただいたんです。

さて高畠熱中小学校では、2014年から2015年にかけて廃校の2階の教室を使い都内の企業がリモートワークをする国の実証実験に参加し、当時総務大臣だった高市早苗氏に表彰されたことも愉快な思い出です。学校は子供たちの教育の場にとどまらず、いろいろな活用の方法があるのです。
昨年熱中学園では、能登半島支援事業を、内田洋行様の115周年記念事業の支援で行いました。首都圏にある「食の熱中小学校」では被災したシェフを訪ねるツアーをこの4月から実施します。昨年から毎月能登半島に熱中小学校の先生が出向いて、授業をネットで配信してきました。昨年の7月には、本日の講師である原田英男さんにお願いしました。
そんなことを引き受けてくれるのが熱中小学校の先生方です。

能登半島の音楽ツアーは、被害が少ない学校の体育館が会場になりました。能登町の能都中学校、輪島市の輪島中学校、輪島市門前町では門前高校の体育館でした。学校の体育館の多くが避難所として使われました。そしてそこには必ず校歌が掲げられています。つまり震災の避難所は、つらい時に音楽があることを教えてくれる。私も自分の中学校の時の校歌を口ずさむことがあります。


この美里中学校は、どうも普通の統合された学校というだけではなさそうですね。
設計された「関 空間設計」さんのWebには「教室は大きな家・学校は小さなまち」というコンセプトが書かれていました。”家” は漢字ですが、”まち” はひらがなで表しています。町、街、万知 というまち もあります。あなたの ‘まち’ にしてみましょう、は今日のテーマの ‘未来を自分色に…’ と重なります。
開かれた学校で熱中小学校の授業ができるのは、大変画期的なことだと期待しています。
最後に熱中小学校始まって以来の5つの流儀についてお話ししましょう。
まずは楽しいことです。熱中小学校のロゴを見ていただくと、‘遊び‘ の駒が ‘学び‘ のセロテープより上にありますね。

2番目は、多様な人々が学校に集うことです。次のグラフは高畠熱中小学校に通う生徒さんの ‘通ってくる町‘ の分布です。高畠町町民は15%、山形県内の他の町からは54%となっています。全国平均では大きな町もありますから、学校所在地からは半分くらいです。
自分のことは自分ではわからず、相手が鏡になってわかりますから、多様性は宝です。
やがて自分の良いところもわかって、自己肯定的な気持ちで ‘やってみよう’ という生徒さんが多くなってきます。

3番目は刺激と感動があること、つまり自分とは違う人たちの良さを肯定できることです。
先ほどの10年誌には、高畠熱中小学校の4人と熱中小学校丸森復興分校の3人から手記を寄せています。皆さん面白い方ばかり、いや、面白い方に成長した方ばかりです。
高畠熱中小学校の小寺雅仁さんは、神戸や名古屋からオートバイで通っていました。
彼の手記からです。「ある日年配の同級生がこう言いました。『人生はいつからでも面白くできるんだよ』その言葉に私ハッとなりました。ここでは誰もが ‘生徒’ であり ‘先生’ なんです。年齢も肩書も関係ない。それが熱中小学校の本質だと思います。」
熱中パスポートという制度は、ひとつの学校の生徒になると他の学校の授業も受けられるという特権です。そこで、美里町も含めて宮城県と山形県の3校は授業日が重ならないよう、事務局間で調整されています。

4番目に大切なことは、輪の広がりがあること。
全国16校へのパスポート制度や徳島県の学校が主催する阿波踊りや7周年記念パーティーなど、全国の1000人の仲間があなたの視野を広げます。

5番目に大切なことは、そこに貴方がいることです。

皆様、入学式でお会いしましょう!

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