第11章で「風が見えるか?」というエッセイを能登半島珠洲市の炭焼きの話として書いた。
https://www.korobocl.com/osokunai/011-2/
その後、輪島市門前町の大本山總持寺祖院で高僧に「風が見えるか? という問いは、禅的な生活をしていけばいずれわかるでしょう」と教えられた。
第15章 10年ひと昔、まだまだタスキは続く
https://www.korobocl.com/osokunai/015-2/
鶴見には總持寺本山もあるのだが、縁あって昨年9月から家の近くの建功寺が開催している日曜日朝の参禅会に通って、累計でようやく20回になった。1560年に開かれた歴史のある曹洞宗の建功寺は自然豊かな大きな敷地と庭に恵まれているが、感心するのはそのオープン性だ。誰でも座禅をする気になったらお寺にメールして、日曜日の朝6時30分ごろ行けばご指導いただける。会費はなく、各自自分なりの奉仕活動をしてお返しする。お布施をされる方もいるが、朝、参禅会の前に必ず道や駐車場の掃除をしている方がいる。私は正月1日の参賀客の誘導や、お花祭りで ‘綿あめつくり’ をさせてもらった。この花祭りにはなんと1000人以上の方々が来られた。私は仲間と3人で300の綿あめを子供たちにプレゼントしたから、この寺が親子連れの方々の遊びの場になっていることが良くわかった。
地域の社会的な集まりや、コミュニケーションの場として開放しているお寺なのだ。
さて、30人くらいの皆さんとの座禅が始まると、ほどなくして枡野 俊明(ますの しゅんみょう )住職からの禅語のお話がある。住職は庭園デザイナーとしても活躍されており著書も多数ある方だが、話がはっきりとしてとてもわかりやすい。座禅を組みながら聞くのが楽しみになってきた。本日の禅語は「坐石待香風(いしにざしてくんぷうをまつ)」
「石に坐って、香りを含んだ風が吹いてくるのを待つ」、この香風は(こうふう)ではなく薫風(くんぷう)と同じ読みだが何が違うのだろうか?
枡野住職の説明が続く。
「良い風を座して待つ。『幸運は焦らず気長に待っていれば、向こうからやってくる』という意味合いで使われますが、風はどんな人にも等しく吹いていますが、この風をチャンスとしてつかめる人と、つかめない人との差があるのです。」
つかめる人は日ごろから修行、努力を重ねていて、その風の意味が解っている人という意味であるという。
今朝は以前から気になっていた「風は見えるか?」という問いに答えをいただいたようだ。
もう一つ、昨年から習字を習い始めたのだが、84歳の書道の先生から、座禅で聞いてくる禅語を書きましょう、という提案をいただいた。
禅語を書として何度も繰り返して書きながら、やがて自分流の奉仕の形が浮かび上がってくる。建功寺の豊かな山の木々や野花の蜜を集める日本ミツバチの巣箱を設置して自然入居させ、やがて蜂蜜を採取して来年の花祭りに売り出して奉納したいというものだ。
早速住職に相談して、認めていただき幸運にも1か月後に自然に蜂が入ってくれたのだ!
まさに、チャンスを掴んだ瞬間だった。
まだまだ奉納までの路は長く。甘くはないが、毎週の参禅行きに、蜂の世話をするという仕事の意味が生まれたのだ。
恥ずかしながら、書道入門中の禅語をひとつ紹介します。

冷暖自知(れいだんじち)
「水の冷たさや暖かさは、自分で飲んでみないとわからない」という例えから、真理や悟りは人から教えられるものではなく、自分自身の体験によってのみ会得できるという意味。



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